2007年12月16日日曜日

NESN制作 Champions Again: The Story of the 2007 Boston Red Sox

RS2007シーズン回顧DVDとして数週間前よりNESN等で宣伝されていて,RSNの市民への贈答品として最高云々いうのが営業上の謳い文句だった筈.クリスマス商戦での販促狙いの為か,今夜敢えて本篇を放送することを知り,早速録画.DVDには各種のオマケ映像が収録されているという触れ込みだったが,本篇だけ(1時間20分程度)で十分と思う.

内容は,昨シーズンの終わりから松坂獲得,春季トレーニング,2007年シーズン,リーグ選手権,WS,そして優勝パレードを時系列順まとめたもの.RS選手,フロント,地元メディア+ロッキーズの選手2名が挿入インタヴューに登場,但し,松坂・岡島への直接インタヴューは無し.WSに優勝したので,期待に添えなかった選手への焦点は,4月絶不調のペドロイアのみで,ルーゴの打撃不振はカット,ドリューについてはプレイオフでの贖いプレイの枕詞として打撃不振が述べられた程度.2007年のシーズンは,後半は駄目だったが,前半でロケット・スタートに貢献した選手,シーズン中は今一つ以上だったが,プレイオフで其の分を贖った者という具合に,殆どの選手が何処かで帳尻を合せる働きをしていたので,制作者もストーリーの構成がし易かった(各選手の映像を満遍なく登場させることが出来た=各選手に其々見せ場があった)に違いない.

ニュー・イングランドの冬 其の二

中日二日で今日もそれなりの降雪.野外駐車の為,車周りの雪掻きは自己責任.木曜日の雪と違い,今日の雪はその後,霙・雨となった為,木曜日とは違い,今日の雪掻きはそれなりの力仕事.水気の多い雪の場合,翌朝の最低気温が零下になると氷結し,翌日の雪掻きはますます困難になるので,サボらず今日中に済ませた.昨シーズンは暖冬で,これといった雪掻きの思い出はなく,確か年明け後にそれなりの降雪が一度あっただけのはず.

それにしても,自家用車周りや通り周りの雪掻き状態を見ると,車の所有者・運転者,コンドー・アパートの管理業者・一軒屋の所有者の性格が反映していて興味深い.独身者が共同で借りている一軒屋の前は,ゴミ出しにしろ,雪掻きにしろ,いい加減なところが多い.持ち家の一軒屋の場合,ごく最近1st-time home ownerになり引っ越してきたばかりという趣のところは,雪掻き,落ち葉拾いが今一つ以上の状態がありがち.通勤・買物等で,door-to-doorで車を転がしている場合は別として,Tその他の利用で徒歩が日常生活上不可欠のところでは,歩道の雪掻き不十分で危険で部分的に歩けないとなると,雪掻きが済んでいる車道に出て歩く羽目になる.降雪量が少なければ,車道脇に掻き集められた雪の壁が低くて,通り・交差点での横切りは問題ない.しかし,それなりの降雪の場合,当該雪の壁が高くなり,簡単に跨げない,あえて踏み越えようとすると,足だけでなく膝辺りまでが雪の壁にのめり込み,ブーツ等にズボンの裾を折り込んでいない場合,靴下・靴の中に雪が入ってしまう.比較的人通りの多い通りの場合,大抵誰かが既に雪の壁を踏み越えていて,比較的容易に通り抜けできる.ところが,人通りの疎らな大邸宅脇の通りの場合,歩道の途中で雪掻きを止めていて先に進めない,一度車道に出て,雪掻きを済ませているところまで進み,再び,歩道に戻るという箇所を見かける(クリーブランド・サークルから9号線の間のChestnut Hill Avenue等).町の条例では,通りに面した建造物の所有者に雪掻きの責任があるのだが.

今日も,ペイトリオッツはNYジェッツとの遺恨試合に勝ち,無傷の14連勝,セルティクスも勝利.

2007年12月14日金曜日

ミッチェル・リポート

本業が忙しいので,当該報告書を読むことは諦め,仕事をしながら記者会見を聞いて済ませる事に.結局,法的拘束力を全く持たない調査だったので,現役選手は当該調査を無視する形で対応,よって彼等自身から事情聴取することはできず,よって,搦め手から攻めた模様.例えば,薬物の消費者であるMLB選手ではなく,供給側であるトレーナー等からの情報・証拠を積み重ねて全体像に迫るという形.よって,既に薬物提供のからくりが世間に露呈しているNYヤンキーズが槍玉に挙げられることになってしまった.よって,世間に知られていない供給路上にいた選手は当該報告書の名簿からすり抜けられたことになる.ダンマリを決めている薬物使用選手連中が仲間割れに至り,曝露合戦になれば,より実態が明らかになるだろうが,今のところ,その様な泥仕合になる様相は見られない.引退線上の選手は全面否定で逃げ切ろうとするだろうし(ロジャー・クレメンス),現役続行の選手(アンディ・ペティット)は,今シーズン当初薬物使用がばれたNEペイトリオッツの選手のように,常套言い訳(ケガ回復促進のために判断を誤った)でファン・メディア・業界の許しを乞うだろう.

13日木曜日午後の同報告書公開記者会見以前,boston.comのレッド・ソックス関係板あたりでは,RS現役・元現役の選手名が堂々と貼り付けられていた.蓋を開けてみると,噂のRS現役・元選手は見当たらず,同報告書中,NYヤンキーズの選手絡みの情報濃度が濃かったので,彼等がスキャンダル好きのメディアの注目を浴びる羽目に.ESPNの見出しも,当初はクレメンス・ペティットしか並べていなかったが,その後PC的に,元RSのガニエを追加したのには笑ってしまった.

2007年12月13日木曜日

ニュー・イングランドの冬 其の一

今日は午後から豪雪になるというので,自宅で仕事をすることを朝一で連絡.予想外に降雪の始まりは早く,午後一時過ぎにカミサンが帰ってきた頃には積もり始めていた.カミサンの話では,今日の豪雪予報について,彼女の職場では余り知らない・気にかけていない連中が多かったとか.その後,例のMLBの薬物使用実態調査をまとめたミッチェル報告書の記者会見からMLBコミッショナーの記者会見と共に雪はズンズン降り積もり,結局20センチ以上の積雪となった.

後で知った事だが,この日の朝,Tのボイルストン駅でグリーン・ラインの電車が衝突事故を起こし,朝十一時過ぎまでバスによる代行運行をしていたとか.何時も通り出勤していれば,電車ではなく,バス或いは徒歩で通勤した方が早かったに違いない.最近は,3kgの17インチMacBook Proを持ち運ぶ羽目になったので,膝をかばう余り,昔のように運動を兼ねた50分の徒歩通勤は流石にできなくなったが.

この日,ボストンの殆どの学校・職場が午後から帰宅可となったが,帰宅ラッシュ前に降雪となり,チャールズ河を渡るだけの平日ならば数十分の通勤がノロノロ運転で数時間になったとか.或る悲惨なスクール・バスなど,児童が帰宅できたのが夜も更けた11時だったとか.今日日のガソリン代高値安定の時期に,数時間のノロノロ運転で路上でガス欠に至り,車を放置してことから,渋滞が更に深刻になった所もあったようだ.この為,州の豪雪対策が甘かったのではないかと州政府批判されていた.後知恵的には,この日は朝から休校にするなどの思い切った対策に踏み切ればよかったのかも知れないが,降雪もなく,寒さも和らいだ穏やかな薄曇のという今朝の天気からすれば,降雪がもし比較的空振りに終わった場合,州の対策は大げさ過ぎたと後で批判されることを恐れたのかも知れない.

2007年11月17日土曜日

Eddie Palmieri Latin Jazz Band コンサート at Scullers Jazz Club 11月17日

先日のコンサートでの失敗による憂さを晴らす為にカミサンが選んだのが、ラテンジャズの大御所Eddie Palmieriのラテン・ジャズ・バンドによるScullers Jazz Clubでの今夜の公演だった.このクラブの欠点は,フェンウェイ球場ではないが,ステージ前に柱があり,席運が悪いと演奏者が見えないことがある.今夜当たった席は,当該柱後方の単独二人掛け高椅子で,件の柱はステージ上のピアノを隠すのみ,演奏者全員を正面から見ることが出来た.ラテン・ジャズと[素うどん]ならぬ素ジャズの違いは,やはりリズム・セクションのティンバレスとコンガの存在で,曲自体もラテン系の踊りに合わせ易い点だろうか.アングロの客が過半数を占めているのか,演奏中,席を立って踊りだす輩は殆どいなかった(唯一の例外が,左隣の席に座っていたオバハンで,素ジャズ的曲以外は,終始多動児状態で,一人で踊りながら,席間を流浪していた).公演が始まる前,右隣に座った客のコートの襟が後方のテーブル上の御品書きを倒して,蠟燭グラスにかかり焦げたが,小火には至らず,事無きを得た.公演後,ホテルを出たところで,州警察のパトカー数台に遭遇,タクシーの衝突事故があった模様.

ストロー・ドライヴからBUに抜ける出口は標示が悪く,ボンヤリしていると見逃してしまうことが多いが,今日は無事右折(ちなみに,翌日のボストン・グローブ紙ではボストン近辺の道路標示の劣悪さを報じていた).

2007年11月11日日曜日

波士敦 今昔 Boylston Street(Back Bay付近) 11月11日

午後から波士敦市内はコプリィー近辺で,昨年末に開店した本屋チェーン店Borders, City Sports, Filene's Basement等を廻る.Downtown Crossing駅のFilene's Basementが今年9月に改装のため閉店となった為か(再開店は2年後の予定),以前と比較して一段と混み具合が増した気がしたが,米国は現在,感謝祭前から始まる贈答の季節の真っ最中なので,なんとも言えない.City Sportsでは,RS関連物を眺めてみたが,岡島のTシャツは見当たらず.ハインズ・コンヴェンション・センター付近では,今日閉幕のBoston Career Forum 2007帰りと思われる日本人参加者を多く見かけた.

コプリィーと同センターの間のボイルストン通り沿いの店舗並びも,波士敦に流れ着いた90年代末とは様変わりしたところが沢山ある.寿司屋の牛浜はなくなり(今はSamuraiという店屋へ),ダック・ツアーの水陸両用トラック乗り場やShawsはハンチントン街側に移動し,乗り場の跡地は都市再開発の最中で,中層ビルの外壁工事が始まっていた(国際ホテル・グループのMandarin Oriental, Bostonで,来年夏にオープン予定らしい).

此の週末の地元スポーツ界の話題は,ペドロイヤが9月に左手首の骨に罅割れを発見されていたにも関わらずWS終了まで手術せず試合に出場していた事.セルティクスの開幕後無傷の5連勝など.因みに,明日はALルーキー賞の発表日.

2007年11月10日土曜日

感謝祭週末の準備 11月10日

昨年に倣って今年も感謝祭祝日(22日)週末の食事は,近所のWhole Foods謹製の御食事セットで済ませることして,同店で注文.カミサンによると,値段に大差はないが,去年オマケで付いていたディザート物等が今年は含まれていないとか,やはり,ここにもインフレの波.

感謝祭の週,親元を離れて大学に通う米国人大学生は大抵帰省あるいは旅行,働いている者でも帰省して親に顔を見せることが多く,同祝日前後の米国人の移動は,日本人の盆・正月休みの帰省に相当する一大行事と言える.同祝日は,日本の嘗ての元旦という感じで,あのハンバーガー店のMACでさえ休店,外食の機会は,事前予約のホテル等でのディナーでもない限り,ほぼ無理となる.日本の御節料理と同じで,祝日前に料理を沢山作っておいて,木曜日以降の週末の食事は残り物で済ませて,家族との団欒,フットボール等のTV観戦,金曜日以降ならばクリスマス向けの特別セールに直行という行動パターンとなる.

岡島・松坂とも11月中に帰国予定と日本のメディアで報じられていたが,22日の感謝祭祝日を米国で過ごしてから帰国してもらいたいものだ.RS所属一年目なので,感謝祭週末にコミュニティー・サーヴィスとか慈善行事に参加するのは未だ無理かもしれない.しかし,少なくとも同祝日の静かな街の雰囲気とか,知人・友人宅に招待されて(或いは自分がホストになって)七面鳥料理等の伝統料理を賞味することは体験してもらいたいものだ.

2007年11月9日金曜日

RSファンという生き方 Fever Pitch(米映画2005年)[邦題:2番目のキス] 11月9日

ボストンという土地と縁が出来てしまったのは十年以上も前の1994年だったが,当時は単に成田空港に向かうための中継地で,90年代末に再渡米後の定住地域になるまで,RSに関しても球団名を知っている程度だった.その後,ボストン近在の年数が増すに従い,RSに関する情報も厚みを増し,RSN市民の精神構造は阪神タイガース・ファンのそれと類似点が多いことを悟る.週刊SPA!に「できるかな」を不定期連載中の漫画家西原理恵子の仕事仲間に新保信長という大阪は梅田の生まれで東大卒の流し(フリー)の編集者がいる.彼は身体の何処を切っても黄色と黒の阪神汁が出ると宣ふ程の阪神タイガース・ファン.彼の著書『タイガースファンという生き方』(1999年)には,西原理恵子が描いた漫画「阪神ファン新保くんとわたくし」が載せられていて,《阪神タイガース・ファン》の真骨頂が要領良くまとめられている[因みに,当該漫画は西原理恵子の『できるかな リターンズ』(2000年)に再録された].2004年10月まで,RS Nationの市民の生き様は,この新保信長氏の生き様と多分に重なっていて,先月職場の同僚に無理矢理貸付られてDVDを見る羽目になった米映画Fever Pitchの主人公Benもその様な一人として描かれている.この映画については制作中から地元ニュース等で知っていたが,米国のボストン或いはニュー・イングランド以外の土地ならまだしも,RS Nationの御当地で糊口を凌がせてもらっている者としては,身の回りにBen相当の現物が数え切れない程いるので,何を今更作り話に金を出して観る必要があるのかと相手にしていなかった.以下は,映画鑑賞後の感想のまとめ.

Benを演じる男優がBoston生まれでない(ボストン訛りで喋れない?)ので,主人公の彼は幼少の砌,両親の離婚でNJからボストンに移住という前置きを設定して此の問題をクリアー(映画の狂言廻しのナレーターはボストン訛りで喋っていた模様,例えば,グリーン・モンスターではなく,グリーン・モンスタ)

1980年のフェンウェイ球場が登場したが,現在のグリーン・モンスタの彼方此方にある広告は全く無し(これは当時のRSオーナーの意向だったようだ),勿論,数年前に建て増しされたグリーン・モンスタ上の雛壇席も無し,当時の試合の記録映像(画質が非常に悪い)を填め込んでいた.細かい話になるが,2004年のシーズン終了まで,球場脇のCITGO大看板は電光掲示ではなく照明ライトで上から照らす形式だった.1980年の試合前打撃練習のシーンでは,NESNのRS解説で御馴染みのJim RiceとDennis Eckersleyが当時の選手として出演.また,地元放送局のスポーツ担当記者等の馴染みの顔も登場していた.

DVDオマケの制作者のコメントによると,2004年WSの優勝シーンは,第4戦に一か八かで急遽出向いて,運良くリアル・タイムでの優勝シーン撮影に成功したもの.当該映画は20世紀フォックス制作だったので,Foxグループ系で2004年のWSを中継していた地上波放送網Foxと上手く折り合いがついて撮影OKになったのかも.DVDに含まれていたRS選手のコメントの中には,MLB駆け出しのユーキリスが現在馴染みの髭無しの姿で登場.後日NYヤンキーズに移ることになる,当時髭面でcaveman的容貌だったジョニー・デーモンが,RSの顔として映画の各所に登場していたことが,今は昔の物語.

Googleして当該映画の邦題が「2番目のキス」であることに吃驚.この意訳は,亡き坂本九の「上を向いて歩こう」が米国その他でSUKIYAKIと言う曲名に化けた水準までは至っていないが,もう少し捻りのある邦題が有り得たのでは?

2007年11月7日水曜日

公称値versus実測値 11月7日

今週の日曜日,ボストン・グローブ紙を読んでいたカミサン曰く,[公式選手年鑑によると?]オルティーズとボンの体重がほぼ同じ,マニーの身長は6フィート,信じられる?昨夜日本のZakZakのスポーツ記事を読んでいると,RSと契約更新したシリングの体重条項がやはり言及されていて,彼の公称体重107キロに疑問を呈していた.2007年のWS時の彼のシェイプと2004年WSのそれと比較すると,今シーズンは関取風に肥っていたことは明らか.体重は軽めに,身長は高めに,サバを読んで自己申告するというのは,野球選手の習いなのだろうか,この点に関しては,何となくWWE(World Wrestling Entertainment)的なものを感じてならない.

高校3年の時,クラスに野球部員がいて,夏の甲子園予選用に発行された選手名鑑では,彼の身長は170センチとなっていた.しかし,クラス内の運動部所属の彼のダチ達は,彼が70を切っていることを知っていて,サバを読んでいる云々と名鑑を見ながら言っていた.彼以外のレギュラー選手は皆170以上あったので,彼の自尊心が168とか169と申告することを許さなかったに違いない.

ところで,先日触れた,NESNの番組で流れていたベケットのWS優勝後のダンスの件,RSファンサイトCENTER FIELD(www.outincenterfield.com)の今日付けのポストには,証拠のヴィデオ・クリップが張り付けられていた.

2007年11月6日火曜日

雨漏りのグリーン・ライン電車 11月6日

今朝は出勤時間が遅れて,雨足が強くなった状態でT待ち.現在,Tのグリーン・ライン(日本の路面電車)には3世代の車輛が揃い踏み状態で,最も古いものは米国製,次が,今季ロッキーズで活躍した松井稼頭央の出身地である東大阪市に本社がある近畿車輛のもの,最新がイタリア製.日本ではまずありえない話だが,雨や雪の日に古い型の電車は雨漏りしているものが珍しくなく,今日乗車した車輛(近畿車輛製)も後部で水滴が引切り無しに落ちていた.また古い車両の席によっては,駆動モータの振動がモロに座席に伝わり,気分が悪くなるということもある(自転車並みの時速20km程度で運行していて,乗り物酔いになるという不思議な話).当初の計画は,旧型車輛全車を当該イタリア製車輛で取り替えるという野心的なものだったが,結局,予算不足で,最も古いモデルを全車引退させることも出来ず,先に述べた三世代揃い踏み状態が解消されていない.

今日のボストン・スポーツ界の最大の話題は,シリングのRSとの翌年度契約成立.シリング自ら減量の努力目標の条項を契約書に入れたとか.日本の大相撲的表現で行くと,シリング関の引退興行は昨場所所属したRS部屋が従来通り仕切って,彼の引退の花道を用意することになった,というところだろうか.

2007年11月5日月曜日

ベケットが約束していたWS優勝後のダンス

出勤後,職場のドアに貼っていたRS応援紙ボードを丸めて,次シーズンまでクローゼットに収納.帰宅後は,DVDに録画していたRS関係の番組をDVD-Rに落とすなど,頭の切り替えの真っ最中.其の最中,先週末から放映している,NESNのRS週報番組Red Sox Report最新版を見ていると,WS優勝後の球場内でのRS祭りの映像中(14分頃)に,WS後に踊ることを約束していたベケットが球団関係者(コーチ?)と社交ダンス・モドキをしているものがあった.彼の喋りを聞くと,確かに,優勝後のダンスの約束果したぜ,と言っている(彼の踊りの相手にさせられた人は如何にも迷惑そう).RSファン・サイトであれこれ予想・期待していた優勝後のダンス,やはり,ボンのように,ピンで堂々と踊ってもらいたかった.残念.

2007年11月4日日曜日

新サマー・タイムの終わり 11月4日

今日の深夜2時に時計の針を一時間戻して,夏時間は終わり標準時間へ.今年は,新サマータイムの一年目,即ち,従来の夏時間を前後それぞれ1週間延長するもので,新夏時間は3月に始まり,11月に終わることになる.この変更は数年前に決まったばかりなので,それ以前に製造された電子機器の時刻設定に問題を起こしているようだ.例えば,使っているパナソニックのDVDレコーダーは,従来どおり,先週の日曜日から標準時間を始めてしまい,これに気づくのが遅れて,先週月曜日には平日朝録画していた日本語番組をミスしてしまった.

昨日の荒天から一変して今日は穏やかな晴天,用事があってTでレチメア駅まで.最後にレチメア駅に行った時には地上にあったGreen LineのNorth Stationは,既に地下に移っていた.地上にあった頃の同駅は塗装は至る所で剥げかけるなどボロボロ状態で目も酷いものだった.

その後,今日新装再開店した近所のStop & Shopへ.波士敦近辺で代表的なgrocery storeチェーンと言えば,Shaw'sとStop & Shop,食料品の質に拘りを持つ消費者ならば,Whole FoodsとTrader Joe'sとなるだろうか.Whole Foodsは日本のメディアで流れた情報によると松坂・岡島両家御用達らしいが,比較的新鮮な魚介・肉類を(専門店に出向かず)近場で入手したいならば此処で決まり.但し,庶民の世帯の味方である,日曜版のボストン・グローブ紙に差し込まれている大手食料品等の製造会社提供割引クーポンは,後者のTrader Joe'sでは使えない(多分,Whole Foodsも駄目かも).後者の2社は一般ブランド物は殆ど置かず,自社開発・ブランドものを専門に売っているので,全国・地方メーカーの割引クーポンが使えるものが此れと言って無いのだが.

Trader Joe'sには,日本のスナック菓子や食料品のコピィ物が置いてあり,この為,結構ポーター・スクエアーにある寿屋の純日本製品の御世話にならずに済んでいる.カルビーの枝豆風スナック菓子は同社製の現物が売られていて,コピィー商品としては,日本の米菓子系の物(例えば,アラレ),サツマイモ・チップ,冷凍かき揚げ(天汁もどきのタレがついているが,照り焼きソースという感じ),雪見大福モドキの冷凍大福,冷凍枝豆などなど.日本製でない,プラスティック製丼の即席うどんモドキも売っているが,怖くて試したことは未だない.前出のStop & ShopやShaw'sあたりでは,ヒスパニック系御用達ブランドGoyaの食料品は必ず並んでいるが,日本物の定番はキッコーマンの醤油と日清とマルチャンのラーメン物くらいだろうか.菓子ならば,グリコのポッキーは,最近両チェーンとも,エスニック菓子コーナーで売っている.野菜については,椎茸・モヤシは上記4食料品店全てで販売,白菜と大根も,生鮮野菜に力を入れていないTrader Joe's以外の3チェーンでは常備されるようになった.

2007年11月3日土曜日

Nor'easter来襲 11月3日

今日は日本では文化の日=快晴の日という印象があるが,波士敦はNor'easterで雨模様.雨が降れば湿度が60%以上では,という日本的思い込みは当地では通用せず,湿度計を見るとなんと40%,なるほど喉が渇くはずだ.昨夜はセルティクスが勝ち,今夜のブルーインズは兎も角,明日パッツが勝利して白星街道を驀進してくれれば,当地のスポーツ・ファンにとっては嬉しくて堪らない一週間だろう.しかし,2004年にRSがWSで優勝した直後の日曜日にパッツは破竹の連勝記録を止めてしまったという前例があるので,パッツ・ファンにとって,明日の試合は気になるところ.ただ,2004年のシーズン後の2005年のスーパー・ボウルでは見事に優勝しているので,この前例は気にしなくて良いはずでは.

20世紀初頭のRSに黄金時代があったように,最近低迷中のセルティクスにも栄光の歴史が1960年代前後にあった.波士敦がある麻薩諸塞(マサチューセッツ)州はバスケット・ボール発祥の地(より正確には,同州西部にあるスプリングフィールド市)なので,同地でのバスケット・ボールへの熱も高いのではと,外部の人間は推量するかもしれないが,RSに腰を入れすぎているのか,他のスポーツへの感情的入れ込み度合いは,RSに比較すると格段に落ちる.パッツがスーパー・ボウルで初めて優勝した2002年頃からを振り返ると,強いチームにファンが集まるという傾向で,確かにパッツ・ファンの底辺が拡大した印象を受けるが,それでもRSに対するあの宗教的というか信心的な入れ込みの境地には至っていない.

江戸時代の川柳に花形力士の待遇をを羨んだ「一年を十日で暮らす良い男」というものがある.NFLの場合,通常のシーズンの試合が16試合,それに対してMLBの試合数は10倍以上の162試合(2007年).シーズン中,週一勤務と週休1日程度の勤務では,それを見ている(刺激に曝露されている)観客の感情的入れ込み・高ぶりに差ができるのも,やはり,理の当然か.明日までにRSのWS関係等新聞その他のメモラビリアを整理して,頭の切り替えをしなくては.

Caetano Velosoのコンサート at Orpheum Theatre (11月2日)

今夜のコンサートはボサノバ・ファンのカミサンとの約束で,数年前クーリッジ・コーナー・シアターで放映されていた映画Orfeu(1999年)の音楽を担当したのも彼,同映画中には如何にも取って付けた感じのスラムの屋上で彼がギター演奏しているシーンがあった.コンサート前にボストン・ヘラルド紙サイトに彼へのインタヴュー記事があり,軽く見出しをながめると,"experimenter"という語が目に付いたが,記事全体を読まずにパス.今となっては,ここで記事を確り読まなかったのが間違いの始まりだったかも.ボーダーズでRS関係の雑誌特別号4冊購入後,夕食をマックで手早く済ませて,8時20分前に劇場に行くと,既に長蛇の列で,列の最後はパーク・ストリート駅出口辺りまで伸びている.後で分かったのだが,照明機器の故障で準備が遅れて,開場が遅れたらしい.ボストンの劇場は大抵古びた内装がそのままで,床・座席等を交換した程度の改修でお茶を濁しているいが,同劇場は,その水準にも至っていないという悲惨な状態.座席番号が磨耗して読めない,一部の席は折りたたみ椅子で代用等という有様.

入場後30分以上待ってもコンサートは始まらず,関係者の御詫び挨拶も約束破りに終わり,演奏が始まったのは9時前だった.カミサンは,彼の今までの音楽傾向から,アコースティック・ギターのメロウな弾き語り中心の演奏を期待していたが,大空振り.前出のインタヴュー記事に書かれていたのだが,彼は最近ロック系の音楽に入れ込んでいる模様で,演奏題目も一曲だけがアコースティック・ギターの弾き語り,あとはエレキでのロックのみ,彼の音楽実験のギニー・ピッグに.おまけに,観客の質も最低で,前の座っていた娘・母(?)は演奏中に大声で駄弁るは,ビールを床にこぼす有様.沢山の客がビールを飲んでいるためか,矢鱈と席を立つ連中が多かった.不思議なことに,普通のコンサートの冒頭にある御決まりアナウンスには,禁煙の条は有ったが,撮影禁止とははっきり言っていなかったので,観客は演奏中写真・ヴィデオの撮り放題.一人頭50ドル弱を払ったので一階の舞台に近い席でVelosoは良く見えたが,舞台に置かれたスピーカーの前で,ロック調のコンサートだったため,プラス・マイナス・ゼロ.客はボストン近在ブラジル人が大多数という感じ,選曲は兎も角,有名自国音楽家のコンサートなので,馳せ参じたという趣だった.木枯らしも吹かず,雨天でなかったのが唯一の救い.

今夜は,地元NBAチームであるセルティクスの地元開幕戦で,コンサートの帰りのTには緑色系の衣服をまとった連中が多数.帰宅後,TVニュースを見れば,RSの関係者(選手はウェイクフィールド・タコビィー・デルカーメン・バックホルツ等)が同開会式にWSトロフィーを持参・披露したらしい.今夜の深夜TVでは,RSのマニーがNBCのジェイ・レノのショウへ,オルティーズは,後続のコナンのショウに登場.先日CBSの深夜ショウに登場したボンが,オルティーズがBedazzler云々と暴露したため,オルティーズ着用のジャケットの背中には,期待を裏切らず,ビーズの蠍(蠍座生まれ)があった.

Bedazzlerの和訳をgoogle等探したが,2ちゃんねるのTV通販板辺りに「ビーダズラー」という語あっただけ.ボストン・ダート・ドッグズのサイトには,11月1日付けで,Bedazzlerの公式サイトのパロディーが掲載されていたが此れは秀逸.

2007年10月30日火曜日

WS祝勝パレード(Rolling Rally II)の日 (10月30日)

今日は祝勝パレードの日で,快晴.通勤ルートを急遽変更し,パレード前のフェンウェイ球場界隈の雰囲気を写真に撮るために寄り道してケンモア駅でTに乗車することに.ランドマーク・センターの反対側のTrilogyアパートの球場側には,ダック・ツアーの水陸両用トラックが既に並んでいた.見物客整理の金属柵が配備される直前を好機にと,トラックに近付いて写真を撮っていると,御年寄り(女性)から何が進行中なのか聞かれてしまった.他所からの訪問客なのだろうか.パレードの事を知らないということは,生粋のボストニアンでは有り得ないはず.月が見える球場上空には"Direct TV"をボディーにあしらった飛行船が旋回している.球場脇のバットとボールがくるくる回る電光掲示板は未だWS優勝云々という表示はなく,消灯中.球場付近に集まっている連中には,如何にも学校をサボった中高生が多数混じっていた.球場付近のスポーツ・バーの窓には節度ある飲酒を求めるポスターが未だ貼られている.通勤途中,地下鉄の窓からボストンのスカイラインを眺めると,天気予報で有名なオールド・ハンコック・ビルの旗竿の優勝旗は既にWSの赤色の物に取替えられていた.

職場のプロジェクト・リーダは欧州生まれなので,RSに対する精神的入れ込みが無く,結局野球好きの米国人達が音頭を取って,火曜日の定例昼食会をパレード見物に変更.移動時間を抑えるため,Red Lineのパーク・ストリート駅前で見物.パレード経路に面したビルの窓は,色々な書き込みや貼り紙が見える.2004年の時同様,パレードの車列到着を待ちきれないハイになった連中が時々奇声をあげるのが耳障り.ダック・ツアー用の水陸両用トラックに乗った他の選手と違い,パレードで踊りを公約してたボンはバンドを乗せた改造トラックの荷台上に,岡島・ティムリンと乗っていた模様(留守録していた中継番組を見て後で知った).踊りの後,ボンはスピーカー・ボックスを御立ち台にして箒を振り回すというワイルドぶり.同トラック後ろには,今年のRS救援陣テーマである海賊のシンボル,海賊旗(Jolly Rogers)が架けられていた.車列通過後,空を見上げると軽飛行機が文字を書いているのだが,何かよく分からない.boston.comに掲載されていた写真とは違うものだった.2004年のパレードと比較すると,何となくパレード車の数が少なかったような気がするが,正確に数えたわけではないので事実は不明.boston.com掲載の写真や留守録パレード中継を見ると,パレード前半のコプリー駅辺りまでが,選手も御疲れ気味でなく,面白い光景があった模様.但し,ボンの踊りは,終点のシティ・ホール・プラザ前で披露されたオカ・ボン+ティムリン救援投手三人揃い踏み公演が圧巻(当該公演では,ボンはキルトを穿いていた).

帰宅の途中,ケンモア駅で降りて,ボストンのスカイ・ライン名物のCITGOの看板を見ると,隣のピザ・チェーンBertucci'sの看板にあるRS選手の背番号が朝の19(Player of the week)から25(Player of the year)に替わっていた.WSのMVPにローウェルが選ばれたからだろう.今朝何も表示していなかった球場脇の電光掲示板は2007 World Champsとなっていた.選手入場口の近所まで歩いてみると,日本テレビのクルーが撮影中,女性リポーターは赤色のWS優勝Tシャツを着用.

今回のWSでエルズベリーが初盗塁を記録したことにより,Taco Bellが今日時間限定で無料taco販売を行った.ボストン市内には何故か此の手の外食フランチャイズ(例えば,ケンタ)が少ない.但し,ダンキン・ドーナッツの店舗は数え切れないほどあるのだが.エルズベリーがタコ・ベルに今日行ったというので,ボストンの何処かと思っていたら,BU内にある店だった.

WS優勝の[翌]日(10月29日)

WS優勝の興奮がなかなか醒めず,寝付いたのは夜中の3時過ぎだった.朝起きて新聞を取りに行くと,未だ配達されておらず,結局配達されたのは,8時過ぎだった.Tに乗車する前に近所のGrocery Storeでボストン・グローブ紙を記念に購入.最寄の駅のメトロの表紙は未だ優勝が決まっていない時間に締め切ったもので,オルティーズの打撃場面.後で手に入れたメトロの表紙は優勝決定後のシーンに差し替えられていた.職場の野球好きの間での話題は優勝パレードがどうなるかで,結局,川に飛び込む無謀者の事故を避けるため,2004年のような水上パレードはしないことになった模様で残念.あの水上優勝パレードは一生に一度ものだったのかもしれない.

帰宅途中にフェンウェイ球場に立ち寄ると,コロラドから帰ってきた選手が球場から帰宅する最後で,4戦で代打ホームランを打ったKielty,シリング,ロウウェルの素顔を見ることができた.シリングは助手席からファンをヴィデオに撮っていて,ロウウェルも助手席に座り,ファンの声援に対してクラクションを鳴らしてくれた.二人ともハンドルを握っていなかったということもあるが,ヴェテランという貫禄で,見物ファンを邪険にせず窓を開けて声援に答えてくれたのは嬉しかった.

WS Game 4 at Colorado (10月28日)

今日の昼食は縁起をかついで,冷凍チキン・カツを焼いて食べ,赤色系の靴下を穿き,これまた赤色系のシャツを着て,昼過ぎには,フェンウェイ球場からコプリーまで歩き,第4戦までの街の様子を写真に撮った.今朝のタブロイド,ボストン・ヘラルドの表紙は松坂のタイムリー・ヒットの瞬間を撮ったものだった.オールド・ハンコック・ビルの天辺の旗竿に掲揚されているALCの旗は既に千切れたのか,数日前の見栄えの良い翻りは何処へやらという感じだった.

今夜のRS先発はレスター,対するロッキーズの先発はCookで此処2ヶ月休場中の登板,初回表RSは素早く1点を得たものの,後続がなく,Cookは立ち直り,その後は今季開幕投手の貫禄でRSの打線を5回の一点のみ抑えた.一方,レスターは結局6回途中まで無失点に抑え,後は救援のデルカーメンがホームランを7回に許すものの,ヴェテランのティムリンが何とか火消しに成功して,運命の8回表へ.此処で代打のKieltyはソロ・ホームランを放ち追加点,8回裏の投手は誰かと思いきや,なんと連夜の岡島投入.RSは此処まで頼れる投手がいないのか,後は岡島が無事三死をとれることを願うのみ.一死を取った後,一人走者を貯めてしまい,そして連夜の痛恨ホームランで,ボンに交代.一死を得てボンへの負荷を5死に和らげた事だけでも評価すべきなのかも.ここで8回表の一点が保険として効き,ホームランまがいの大フライを打たれるも,ボンは何とか5死を無失点で得て逃げ切り,試合終了.Kieltyの代打ホームランはRS Nationのdie hard funの間では,2004年の代走Robertsのように記憶されることになるかも.Kielty自身にとっても当該ホームランは一生の思い出かも.

2004年の優勝時は珍しくて,フェンウェイ球場近辺に集まった群衆に混じってしまったが,今回は余裕で自宅でTV中継視聴.2004年のスーパー・ボウル(この時はパッツが優勝)ハーフ・タイム・ショーでのジャネット・ジャクソン胸チラ事件以降,米の各放送局は生中継に神経質で,数秒の時間差放送で不測事態に備える体制になっている.此の様な背景で,NESNは取材陣不手際又は機器の故障(?)から,事前に約束していた試合終了後からの生中継が出来ず,漸く生放送が始まっても,選手達の肉声なしの画像のみを放映し,音声はスタジオのキャスター等の喋りを充てるという,トーキー以前の無声映画的な放映になっていた(同じようなことが,NESNの優勝パレードの中継でもあった.マニーがスティーヴィー・ワンダー風にアフロ・ヘアー&サングラスでマイクを握りぱなしで車上から観客に向かって喋っているシーンが各ポイントで映っているのだが,彼の声は聞こえず,スタジオの解説者の声ばかりだった.生中継放送のマイクが選手・観客双方から飛び交うかもしれない放送禁止語を拾うことを恐れた為だろう).

フランコーナ監督が,優勝後の記者会見で,8回にホームランを打たれた岡島について,(彼が今夜投げれるとは思わなかったにも関わらず?)体を張って投げれたこと自体が素晴らしい,というような事を一言述べていたことに救いを感じた.今回のWS4連勝を振り返ると,ロペス以外の出場選手は皆,監督の期待に応えて何等かの貢献をしたシリーズだった気がしてならない.

WS Game 3 at Colorado (10月27日)

今夜のWS登板は松坂,何時もながら重苦しい感じ.彼は何回まで持つか,はたまたNLのルールによるDHなしで,彼がどのように打席を凌ぐか,気圧が低く,外野が広い球場など,気になることばかり.

蓋を開けてみると,松坂は味方の好守備(特にルーゴ)に助けられて5回までは何とかもち,3回表のRSの猛攻では,自ら打点を叩き出すなど打席でも活躍,6回の投手交代後の抑えの救援陣の出来はどうかと言うと,松坂の代わりに登板したロペスは,相変わらず他人が許した走者は我関せずとばかり還してしまう癖が治らず,打たれて二点献上,一死も取れず交代でティムリン登場,何とか抑えて6回表終了.7回表ティムリンは走者二人を貯金,ここで中1日の岡島登場で初球ホームラン.中一日とは言うもののボストン=デンバー間の移動込み,今季最長の3回を跨いだ救援の後で岡島再登板は,如何にRSの救援陣が枯渇しているかの証拠.ホームランで走者一掃で吹っ切れたのか,岡島は何とか3アウトをとり8回に繋いだ.クタクタの状態で3死を取った岡島のド根性に刺激されたのか,8回表RS打線爆発で追加点3,8回裏のデルカーメンは若さ故の緊張かストライクがなかなか決まらず打たせて二死を討ち取るのが精一杯で,8回2死からはボン登場.9回表には足が速いとは言えないロウウェルが二塁から三塁へ盗塁という攻めの姿勢を貫き,テックの犠飛で見事に一点追加.最後はボンが見事に抑えて,松坂の勝利投手決定.さて,2004年の際と同じ4連勝になるかどうか.

10月26日

WSは移動日のため今夜は試合なし.昨夕,同僚のために貰ってきたRS応援紙ボードは,結局仕事場のドアに貼ることに.他の仕事部屋でもRS応援物を2,3貼っているところあり.今日のメトロ等の写真には,シリングが投手交代でベンチに戻る際に観客に向かって帽子を振ったものが多かった.此れがシリングにとってRSユニホームでの最後の試合になるのだろうか,それを覚悟した別れの挨拶とも言えるポーズ・写真だった.通勤途中のTで読み捨てられたタブロイドのボストン・ヘラルド紙を捲ると,岡島の写真が掲載されていたが,他紙には彼の写真はなかった.

WS Game 2 at Boston (10月25日)

WS二日目,今日も昨日同様の色選びの服装で出勤,球場界隈で無料配布のRS応援紙ボードを手に入れ職場のRSファンにプレゼントするため,今日も球場経由で帰宅.帰宅途中,川向こうの職場上空で軽飛行機が舞っている.今日は雨も上がり晴天で野球日和,'GO'と文字を丁度書き終えたところ.ならば次はSOXと書く筈だが,軽飛行機は何処ともなく飛び去り先に書き上げた文字は飛散中.材料切れだろうか.例の紙ボードと今日のGame Dayを手に入れ帰宅途中,CITGOの看板の向こうに満月(?)が見えた.

今シーズンRSは,10点以上の得点を記録した試合の後は何故か一転貧打に陥ることが多かった.はっきり記憶に残っている例外が,8月下旬のWSox4連戦4連勝くらいだろうか.熊の冬眠前の食べ漁りではないが,打てれる時に沢山打って成績を上げておき,打てない時に備えるというようなチームの試合結果よりも個人の通年成績を優先する思考が働いているのかもしれない.今夜の試合も当該パターンに違わず,また,ロッキーズも昨日の試合に懲りて投手陣が頑張ったため,一点差を争う投手戦になった.シリングも完全ではなかったが6回途中まで何とか持ち堪え,救援投手へ引継ぎ.誰が救援するかと思いきや,岡島登板.シリングの置き土産を見事に火消し,今日は岡島絶好調と思ったら,7回で許してもらえず,8回2死までというRS首脳陣の欲張りぶり.ボンはホリディーに安打を許すも,見事な牽制でアウト.打撃陣が稼いだ貴重な一点差を維持して,9回も無難に抑えて試合終了.

ところで,シリングが勝利投手記者会見でPapa-Jima showという語を使っていたが,カミサンは,登板順に,オカ・ボン・ショーと言うべきと譲らない.Googleしてみると,「オカボン」という言葉が既に存在し,阪神の岡田監督のことを指すらしい.上方では男(特に若者)を今でもボン(坊から転じたらしい)と呼ぶので(例えば「そこのボンボン」云々),岡田監督の岡にボンを結合させたらしい.RSの文脈では,間に中点を入れて,オカ・ボンとした方が混乱しなくて良いかも.

因みに,Papajimaという語をシリングが発した背景には,地元のピザ屋チェーンが絡んでいると思う.生粋のボストニアンならば「あたり前田のクラッカー」的な話なのだが,ニュー・イングランド地方限定のピザ等のイタリア料理チェーンにPapa Gino'sがある.開業は比較的新しくて1961年で,フェンウェイ球場付近にあるサンドイッチ屋のD'Angeloも10年前にPapa Gino'sの傘下に入った.Papa Gino, Papa-jima 比較的音が似ているので(nをmに,oをaへ),アドリブ的な言葉遊びで思いついたのではないか.試合後,予想していた通り,Boston.com上でのRS絡みの読者フォトショップ(パロディー)・コンテストに,Papa Gino'sのロゴをPapa-jima'sとパロッたものが投稿されていた.オリジナルの副題(同社の配達サーヴィスのモットー)"Catering at Its Best"は"Pitcha at Its Best"となっていた.

WS Game 1 at Boston (10月24日)

遂にやって来たWS初日,毎度の縁起かつぎで赤色の靴下を穿き,赤色系のシャツを着用して通勤.天気予報では今夜は雨だったが,帰宅ラッシュ・アワーの頃は未だ降雨に至らず,ケンモア駅から球場を経由して帰宅することに.予想通り,駅前から球場界隈までWSシリーズ的盛り上がり,メトロの球場号外Game Dayとボストン・グローブ紙が手渡しているRS応援紙ボードを貰い球場方向に歩いていくと,路肩にTVクルーの一団,声をかけられたが上手く避けてランドマーク・センター方向へ.コプリー方向を見ると,プルデンシャル・ビルには毎度御馴染みGO SOXの照明文字がぼんやりと見える.Harvard Vanguard前の交差点では,ダフ屋が制服警察官二人に捕まり,必死に言い訳をしていた.今年は,例年以上にダフ屋の取り締まりが厳しいことが以前ボストン・グローブ紙上で報道さていたが,WSならば取り締まりの厳しさは尚更か.フェンウェイ駅でTを待っていると,向こうに見えるランドマークセンターの脇には丸い月が見えている.

帰宅後,ケンモア駅前で手に入れた応援紙ボートを部屋に飾り,応援準備完了.ボストンで重要な行事があれば,戦闘機または爆撃機が飛来することが定例になっていて,今夜もTVで開会式の進行を見計らって屋上へ.生憎雨模様だったが,チャールズ・タウン=イースト・ボストン方面から編隊が球場方向に急速に飛来するのが見える(大抵音速以上の速度で航行しているので,爆音を聞いて窓から空を眺めた時には既に視界外ということが多い).編隊が球場上空からボストン郊外に抜ける際に,斜め横方向から編隊を見ることが出来たが,今日は薄い雨雲が立ち込めている為か,晴天の際よりもジェット噴射がより赤々と見えたのが印象的だった.8時を過ぎて暗くなったためか,例のGO SOXの文字はより鮮明に見えていた.

試合の方は,雨天にもかかわらず,ベケットの投球には安定感があり,連打を浴びてもso whatという感じの淡々とした力投が続き,RSの打線も一回裏先鋒のペドロイアによるホームランから乱れ打ち状態,終わってみれば10点差以上開いてRS圧勝となった.今シーズン6月のロッキーズ戦でベケットが7-1で敗戦投手になっていたことが信じられない試合結果だった.

2007年10月24日水曜日

RSブルペンのマスコット(インコの縫い包み)盗難事件

RSの通常試合がある4月から9月まで間,地元スポーツ・ケーブル・チャンネルNESNが放送権を持っていた試合の場合,深夜12時から2時までの長尺版と,翌朝8時から9時までのダイジェスト版が放映されている.Breakfast With the Soxと題された朝の一時間版は,なんとなくNHK放映の朝の連続テレビ小説的で,これを見終わったら,ボストニアンはTVのスイッチを切って仕事開始という趣だ.昨夜ライブで試合を見ていなくても,これを見て試合の「触り」を予習しておけばば,職場におけるRS談義で取れ残されずに話に交じれることになる.この一時間版の場合,時間の縛りが厳しいため,岡島が8回を無難に押さえた場合は大抵カットされていて,9回のボンの締めの部分だけが残っているという感じだった.

通常の野球シーズンが終わった今の時期は,朝8時から9時までの時間帯は通常のスポーツ・ニュースが放映されている.今朝のニュースの最後の話題は,RSブルペンのマスコット(縫い包みのインコ)盗難事件だった.このインコの縫い包みについては,岡島が験かつぎとして大切にしていることが先月ZAKZAKのサイトで紹介されていた.リーグ優勝の晩,祝勝の騒ぎに紛れて近所の大学生二人がブルペンから盗んだ模様だが,中継ぎ投手のティムリンがTVを通してマジで返却を要求し,地元TV局がWS入場券提供という懸賞を乗せてたため,無事返却となり,当該学生達は盗み得となった.高嶺の花となったWS入場券にファンが溜息をついているのに,彼等は盗みを働いたにもかかわらず御咎めなし,しかも盗人に追い銭的にWS入場券まで与えてしまった.何か釈然としない結末だった.ZakZakの記事では,岡島がインコの縫い包みを持ち込んだように書かれていたが,ティムリンへのインタヴューによると彼の夫人がブルペン用に買った模様.

ティムリンによると,RS救援陣の今年のテーマは海賊で,ブルペンは黒真珠(Black Pearl)で救援陣はthe Pirates of the Black Pearlと呼ぶらしい,ブルペンの窓に海賊旗(Jolly Rogers)が架けられた写真もあった.海賊とくればインコということで,インコの縫い包みが登場になったらしい.このインコの名前はParlayとのこと.

ALCS Game 3 at Cleveland (10月15日) 試合前の出来事

此の日の朝,出勤のためT(地下鉄と呼ばれていますが,一部の路線は日本の所謂路面電車が一両ないし二両編成で,ボストン市内のみ地下走行していると想像してください)を待っていたら,手前の駅で電車が止まったままで全く進む様子がない.そのうち,ドアが開いて客がどんどん駅から去っている.この電車が所謂「俄か急行」に化けたのならば,降りた客が駅でそのまま待機して後続の「普通=各駅停車」を待っている筈.ということは,電車の故障で走行不可能に違いないと判断し,運行再開を待っていたら何時職場に到着出来るか分からないので,ケンモア駅まで歩くことにした.

ケンモア駅と言えば,フェンウェイ球場最寄のT駅で,駅に近付くとイン・バウンド側入り口付近に,米4大TVネットワークの一つであるNBC系列チャンネル7のTVクルーが屯している.今晩は松坂登板,アジア人に是非インタヴューしてみようということなのか,見事につかまり,第3戦の勝敗予想を求められた.生まれも育ちもボストンならば,脳天気的に「RSが勝つに決まっている」と条件反射的というか単純明快に答えられるのかもしれない.しかし,延長戦の末ボロ負けした第二戦のしこり,対エンジェルズ戦での松坂の投球内容を思い出すと,理性的には,楽観的になれず,「わからない」という本音露出の歯切れの悪い答えになってしまった.悪い予感どおり,質問は試合結果予想だけでは済まず,松坂の出来具合予想までたたみかけてきた.ここで,また社交辞令的な建前を言えず,「心配している」とポロッと本音を吐露してしまったところで,御役御免となり,ケンモア駅に到着.

当夜この出来事を野球のルールを完全に覚えていない趣のカミサンに話すと,恰も信心が足らないような批判をされてしまい,試合結果は,朝の胸騒ぎの通り,松坂は5回も持たず途中降板で敗戦投手に.第3戦で松坂に投げ勝ったインディアンズのWestBrookは,第7戦でも3回までしぶとく持ち堪え,中盤以降尻上りに調子を上げていたが,もし投球数に拘らずあのまま7回裏まで投げ切っていれば勝敗の行方は違っていたかも知れない.


註:ボストンの地下鉄には,ブルー・ライン等の様に日本的な固定した時刻表があるもの,始発と終電の時間が決まっているだけで,間は概ね10分おきという何でも有りのグリーン・ラインがある.比較的モダンな地下鉄という感じのレッド・ラインでさえ,遅延等で団子状態が生じると,突然のアナウンス一声で,主要駅のみ停車の「俄か」急行になる.

World Series開催の前日(10月23日)

米国では,ケーブルTVのチャンネル並びは自治体毎に細かく違っているのが普通で,ボストンのような外国人が多数居住する所ではエスニックな局など多様な選局が可能だが,ボストン都心から離れる程,チャンネル選択の幅が狭くなっているようだ.現在加入しているケーブルTVには,日本のフジTVの番組を放映しているアジア系番組専門チャンネルがディフォルトで含まれているが,西隣の町に住む知人の話では,当該チャンネルは見れないとか.現在,このフジTVの早朝放映ニュース番組をDVDにタイマー録画し,夕食中に見るのが平日の日課となっている.

今朝の当該番組のスポーツ・コーナーでは,22日月曜日のボストン・ヘラルド紙に掲載されていた松坂に関する記事が紹介されいたが,其の和訳に仰天.オリジナルの記事見出しは,Dice-K does just enoughで,これを「ダイスケまさに最高の働き」と訳していたのだ.昨日のブログで触れた辛口調の記事とは将に此の記事だった.この和訳見出しを入れたのは,東京のフジTV本局だろうか,日本国内の英語が読めない視聴者へならば兎も角,米国在住の日本人視聴者の目は誤魔化せないと思うが.

RSア・リーグ優勝の翌日(10月22日)

地元に何か慶事があれば,地元最有力日刊紙であるボストン・グローブの表紙のイメージを同紙のサイトからダウンロードし,また当日紙の現物を買い求め,同時に無料で配布されている地元日刊タブロイド紙のメトロを地下鉄の駅で取る,というのが日課になっている.当然今朝もこれに倣ったのだが,Boston Nowという無料の地元日刊タブロイド紙も最近出回るようになったので,其の分も記念に追加収集となった.

地元紙の最終版の締切は大抵当日の早朝と思われるが,前掲のメトロには少なくとも早版と遅版があるようだ.例えば,RSの試合結果が午前様になると,早朝出勤客が手にする早刷版の表紙及びスポーツ欄は中途半端なものになっていることが多い.RSのア・リーグ優勝が決まったのは深夜12時を回っていたため,22日のメトロ早刷り版の表紙は松坂の投球姿が占め,見出しには優勝という語句は未だなくDice's Gameとなっていた.一方,遅めの出勤者が手に取る遅版の表紙は,毎度御馴染み,優勝が決まった後のマウンド上の祭り光景で,見出しは,Good Night, Gleveland!だった.

通勤途中の地下鉄車内で,読み捨てられた地元有料タブロイドのボストン・ヘラルドを捲ると,掲載写真中に岡島の写真があり,彼の踏ん張りは評価されていたが,先発松坂の評価は辛口調だった.一方,ボストン・グローブの掲載写真をチェックすると,松坂単体のものは全く無し,インディアンズの先発投手ウェストブルックと捕手のものはあるのに...岡島の2回という補助車が不可欠だった5回でフラフラ投球という成績に地元スポーツ記者は未だ納得していないという証左か.

ALCS Game 7 at Boston (10月21日) 試合後

今夜の試合も,レギュラー・シーズン中,激しく応援しているのはRS側の追っかけファンばかりという閑古鳥の鳴く球場での遠征試合も律儀に中継していた地元NESNでなく,全国ネットワークのFOXが中継したため,祝勝会中継は,地区優勝の祝勝会中継で頑張ったNESNの密着ライヴ中継に期待していた.ところが,機器の故障の為か,NESNはフェンウェイからの祝勝中継が暫くできず,アイスホッケー等の番組を流してお茶を濁す始末,残念だった.地元記者による松坂・岡島両投手への直接インタヴューを期待したが,通訳の関係もあるのか,全くライヴで放映されず残念でならなかった.上手でなくても何か英語で日本語が出来ないRSN住人に語りかけてもらいたかった.WSの後は,米国に留まり,英語の特訓を受けて,片言でもいいから米人記者に直接返答できるようになってもらいたいものだ.

ALCS Game 7 at Boston (10月21日)

試合の結果は11対2とレッド・ソックスの圧勝・優勝となった.しかし,今夜の試合を最初から最後まで通しで見ると,時間の縛りがあるスポーツ・ニュース等のダイジェスト版では扱え切れない様々な綾というか,試合の行方を変えたかもしれない潜在的分岐点が色々あったと思う.追加点のチャンスを見逃した事については,後になってもあれこれ厳しく言われるのが常だが,冷や汗的な出来事については,忘れ去られがちだ.例えば,8回表にサイズモアのバント処理で,岡島,ユーキリス,ペドロイアの3選手プラス一塁塁審が一塁で4つ巴状態になった.3選手はなんとかバラけたものの,岡島は危うく転倒するところだった.三塁塁審と衝突して足首を捻挫した桑田ことを思い出すと,RS快進撃の要の3選手に怪我がなくて本当に幸運だった.

とは言え,双方とも後が無い以上,選手が皆あれこれハッスルしてしまうのは致し方ないのかも.ここ数試合のルーゴの守備を見ていると,今日の7回裏のフライ落球の様に,打撃不振の為なんとか守備で頑張ろうとして,自分の守備範囲を超え,エラーをたびたび誘引していたようだ.先頭打者にもかかわらず打率2割を切って批判されたいた夏の頃,無謀な三塁への走塁を試み,RSN住人を唖然とさせたことを思い出してしまった.8回裏一死の打席でルーゴが内野ゴロを打たずに大人しく三振してダブル・プレイを避けたことにより,当たっているペドロイアに打席が回り大量追加点の道を開いたわけで,無闇にハッスルすれば良い結果を招くわけでもない.7回裏の落球は,相手の走塁ミスと幸運なダブル・プレイで無得点となり,ルーゴは御咎め無しとなったが,これが元で同点・逆転となっていればRSN住人の怨嗟の槍玉になっていたに違いない.

ところで,8回裏一死一塁にJD Drewで,ヴァリテクがバントを試み失敗するという場面があった.サインの読み違えのようだったが,その後,フライで2死の筈が御見合いエラーで落球し,跳ね返ったボールが外野席に飛び込み二塁打,これが後の大量得点の糸口になった.もしあのバントが成功していたら,あのラッキーな二塁打もなかった筈,本当に試合の行方というものは分からない.

今年の地区優勝もリーグ優勝もDice-K登板日に決まったわけだが,果たして,WSの結果も彼の登板日に決まるだろうか.

2007年10月23日火曜日

ALCS Game 7 at Boston (10月21日) 試合前

昨日に続き,今日も午後フェンウェイ近辺の試合前風景を写真に収めに行こうとすると,カミサンがミーハー気分で一緒に行きたいと言い出した.昨日同様の経路で球場に至り,Brookline AvenueとYawkey Wayの交差点付近にある試合表示の電光掲示板等を撮影,土産物屋等を冷かしながら,選手及び球場・メディア関係者の出入り口があるVan Ness Streetへ.ここで地元無料タブロイド紙メトロの試合向け特別号GameDayを入手したのち,そのまま帰宅つもりが,運が良ければRS選手の顔が見れるかもしれないというカミサンの説得に負けて,選手・関係者入場口の前の通行止め柵につかまり野次馬の一部に.

暫くしてRS選手が乗ったベージュ色のキャデラックSUVが到着,「ルーゴ」という喚声が上がったので良く見ると,本人に間違いなし,昨夜打撃で成績を残したためか,ファンに手を振る余裕があった.これに対し,昨夜スタメン落ちしたココは,降車後,伏目で足早に球場に入っていったのが対照的だった.Dice-Kの通訳である星野真章氏は球場内駐車パスが無いのか,徒歩で入場,NECNのスポーツ担当のChris Collinsも婦人同伴で徒歩入場,その後,短髪にサングラスをかけた男性がグレー系のベントレーを転がして,他の選手のような他人任せのヴァレット駐車ではなく,直接入場していった.さて,誰だろう?選手かそれとも特別ゲストか?周りに居た事情通ファンによると,Dice-Kとのこと.以前TVで放映されていた彼の来場シーンでは,トヨタのレクサスSUVを運転していたが,あれは家族用のものか.当該事情通によると,向こうに一時路上駐車されている銀色のベンツはマニーの愛車とか.帰宅後,調べてみると,Dice-Kは日本でもベントレーを運転していたようだ.新車で数千万する愛車のContinental GTを赤の他人に駐車を任せ,一時的にせよ一般公道上に野晒しなど以ての外に違いない.選手の顔を確り確認できたのが,ユーキリス(VWの黒のSUV),レスター(シボレーのピック・アップでプレートは何故か彼の出生地であるワシントン州のものだった).因みに,路上にRS19という特製プレートのBMWが駐車されていたが,ベケット本人の愛車だったかどうかは不明.

ALCS Game 6 at Boston (10月20日) 

ア・リーグ優勝決定第6戦の目玉は,攻撃では,JD Drewの満塁ホームラン,新人Ellsburyの貢献,守りでは,先発投手シリングが,第2戦で見られた投壊に至らず,散発的な2失点で7回まで持ち堪え,救援の2投手も無失点に押さえたことになるだろう.シーズン中のDrewの不甲斐無い打撃貢献にウンザリしていたRSN(Red Sox Nation)住人にとって,高額複数年契約に見合った働きがプレイ・オフで漸く見られるようになって一安心に違いない.地元の野球報道を追っていると,第二戦でしくじったシリング,打撃長期低迷中のJD Drewに対して,come through(期待に添う)ではなく,宗教的な意味合いも兼ねたredeem(贖う)やredemption(贖い)という言葉が頻繁に使われていた.やはり,RSN住人にとってRSファンであることは信心と同じということか.当夜の勝利で松坂先発登板予定の第7戦が現実となったため,当然地元のメディアが,「Dice-Kは果たして第7戦でredeem出来るか」とあれこれ論じていたのは言うまでも無い.地元日刊紙ボストン・グローブのサイトでのRS掲示板を眺めていると,Dice-Kに全く期待しないもの,最低5回は持って欲しいが(期待)果たして持つか(醒めた予測)とが交錯していた.

註:以前NESN等で放映されていた或るRS歴史番組によると,往年の年季の入ったRSN住人は,表面的・俄か的な意味合いをもつ''fan"と呼ばれることを嫌い,腰の入った趣の"friend"という語を使っていたとか.

ALCS Game 6 at Boston (10月20日) 試合前

この日はレッド・ソックスがボストンに戻って来て最初のゲーム.今夜負ければレッド・ソックスの2007年シーズンは御開きとなる.そこで,2004年のワールド・シリーズの際と同様,試合前のフェンウェイ近辺の風景を写真に収めるべく,球場界隈を徘徊することにした.ボストン市の西隣に住んでいるので,球場への路は,ケンモア駅からではなく,フェンウェイ駅に隣接したランドマーク・センター方面からとなる.この日の天気は,ほぼ快晴で,ランドマーク・センターの旗竿を見ると,普段見慣れた星条旗の下に別の旗が翻っている.よく見れば,なんと青地に紅靴下一足をあしらった模様.インディアンズに三立てを喰らったRed Sox Nationの士気を高揚させるかのようだ.2004年のワールド・シリーズの時にはRSN旗の掲揚はなかった筈,実に粋な計らいだ.午後4時を回って球場前の土産物屋は全店開店,Yawkey wayの露店・屋台もそろそろ営業準備を始めたばかり.球場の廻りの観客は未だ疎らにも関わらず,球場南側のVan Ness Streetには沢山の制服警官が屯している(当夜の試合TV中継中,オーナー・ボックスにコネティカット州選出の米上院議員が映っていたので,警備強化だったのかも).ボストン近在の人間には馴染みの平日限定タブロイド(無料)MetroによるGamedayという野球特別号が山積みされていて,表紙の写真は勿論当夜の先発投手シリングだった.