2007年10月30日火曜日

WS祝勝パレード(Rolling Rally II)の日 (10月30日)

今日は祝勝パレードの日で,快晴.通勤ルートを急遽変更し,パレード前のフェンウェイ球場界隈の雰囲気を写真に撮るために寄り道してケンモア駅でTに乗車することに.ランドマーク・センターの反対側のTrilogyアパートの球場側には,ダック・ツアーの水陸両用トラックが既に並んでいた.見物客整理の金属柵が配備される直前を好機にと,トラックに近付いて写真を撮っていると,御年寄り(女性)から何が進行中なのか聞かれてしまった.他所からの訪問客なのだろうか.パレードの事を知らないということは,生粋のボストニアンでは有り得ないはず.月が見える球場上空には"Direct TV"をボディーにあしらった飛行船が旋回している.球場脇のバットとボールがくるくる回る電光掲示板は未だWS優勝云々という表示はなく,消灯中.球場付近に集まっている連中には,如何にも学校をサボった中高生が多数混じっていた.球場付近のスポーツ・バーの窓には節度ある飲酒を求めるポスターが未だ貼られている.通勤途中,地下鉄の窓からボストンのスカイラインを眺めると,天気予報で有名なオールド・ハンコック・ビルの旗竿の優勝旗は既にWSの赤色の物に取替えられていた.

職場のプロジェクト・リーダは欧州生まれなので,RSに対する精神的入れ込みが無く,結局野球好きの米国人達が音頭を取って,火曜日の定例昼食会をパレード見物に変更.移動時間を抑えるため,Red Lineのパーク・ストリート駅前で見物.パレード経路に面したビルの窓は,色々な書き込みや貼り紙が見える.2004年の時同様,パレードの車列到着を待ちきれないハイになった連中が時々奇声をあげるのが耳障り.ダック・ツアー用の水陸両用トラックに乗った他の選手と違い,パレードで踊りを公約してたボンはバンドを乗せた改造トラックの荷台上に,岡島・ティムリンと乗っていた模様(留守録していた中継番組を見て後で知った).踊りの後,ボンはスピーカー・ボックスを御立ち台にして箒を振り回すというワイルドぶり.同トラック後ろには,今年のRS救援陣テーマである海賊のシンボル,海賊旗(Jolly Rogers)が架けられていた.車列通過後,空を見上げると軽飛行機が文字を書いているのだが,何かよく分からない.boston.comに掲載されていた写真とは違うものだった.2004年のパレードと比較すると,何となくパレード車の数が少なかったような気がするが,正確に数えたわけではないので事実は不明.boston.com掲載の写真や留守録パレード中継を見ると,パレード前半のコプリー駅辺りまでが,選手も御疲れ気味でなく,面白い光景があった模様.但し,ボンの踊りは,終点のシティ・ホール・プラザ前で披露されたオカ・ボン+ティムリン救援投手三人揃い踏み公演が圧巻(当該公演では,ボンはキルトを穿いていた).

帰宅の途中,ケンモア駅で降りて,ボストンのスカイ・ライン名物のCITGOの看板を見ると,隣のピザ・チェーンBertucci'sの看板にあるRS選手の背番号が朝の19(Player of the week)から25(Player of the year)に替わっていた.WSのMVPにローウェルが選ばれたからだろう.今朝何も表示していなかった球場脇の電光掲示板は2007 World Champsとなっていた.選手入場口の近所まで歩いてみると,日本テレビのクルーが撮影中,女性リポーターは赤色のWS優勝Tシャツを着用.

今回のWSでエルズベリーが初盗塁を記録したことにより,Taco Bellが今日時間限定で無料taco販売を行った.ボストン市内には何故か此の手の外食フランチャイズ(例えば,ケンタ)が少ない.但し,ダンキン・ドーナッツの店舗は数え切れないほどあるのだが.エルズベリーがタコ・ベルに今日行ったというので,ボストンの何処かと思っていたら,BU内にある店だった.

WS優勝の[翌]日(10月29日)

WS優勝の興奮がなかなか醒めず,寝付いたのは夜中の3時過ぎだった.朝起きて新聞を取りに行くと,未だ配達されておらず,結局配達されたのは,8時過ぎだった.Tに乗車する前に近所のGrocery Storeでボストン・グローブ紙を記念に購入.最寄の駅のメトロの表紙は未だ優勝が決まっていない時間に締め切ったもので,オルティーズの打撃場面.後で手に入れたメトロの表紙は優勝決定後のシーンに差し替えられていた.職場の野球好きの間での話題は優勝パレードがどうなるかで,結局,川に飛び込む無謀者の事故を避けるため,2004年のような水上パレードはしないことになった模様で残念.あの水上優勝パレードは一生に一度ものだったのかもしれない.

帰宅途中にフェンウェイ球場に立ち寄ると,コロラドから帰ってきた選手が球場から帰宅する最後で,4戦で代打ホームランを打ったKielty,シリング,ロウウェルの素顔を見ることができた.シリングは助手席からファンをヴィデオに撮っていて,ロウウェルも助手席に座り,ファンの声援に対してクラクションを鳴らしてくれた.二人ともハンドルを握っていなかったということもあるが,ヴェテランという貫禄で,見物ファンを邪険にせず窓を開けて声援に答えてくれたのは嬉しかった.

WS Game 4 at Colorado (10月28日)

今日の昼食は縁起をかついで,冷凍チキン・カツを焼いて食べ,赤色系の靴下を穿き,これまた赤色系のシャツを着て,昼過ぎには,フェンウェイ球場からコプリーまで歩き,第4戦までの街の様子を写真に撮った.今朝のタブロイド,ボストン・ヘラルドの表紙は松坂のタイムリー・ヒットの瞬間を撮ったものだった.オールド・ハンコック・ビルの天辺の旗竿に掲揚されているALCの旗は既に千切れたのか,数日前の見栄えの良い翻りは何処へやらという感じだった.

今夜のRS先発はレスター,対するロッキーズの先発はCookで此処2ヶ月休場中の登板,初回表RSは素早く1点を得たものの,後続がなく,Cookは立ち直り,その後は今季開幕投手の貫禄でRSの打線を5回の一点のみ抑えた.一方,レスターは結局6回途中まで無失点に抑え,後は救援のデルカーメンがホームランを7回に許すものの,ヴェテランのティムリンが何とか火消しに成功して,運命の8回表へ.此処で代打のKieltyはソロ・ホームランを放ち追加点,8回裏の投手は誰かと思いきや,なんと連夜の岡島投入.RSは此処まで頼れる投手がいないのか,後は岡島が無事三死をとれることを願うのみ.一死を取った後,一人走者を貯めてしまい,そして連夜の痛恨ホームランで,ボンに交代.一死を得てボンへの負荷を5死に和らげた事だけでも評価すべきなのかも.ここで8回表の一点が保険として効き,ホームランまがいの大フライを打たれるも,ボンは何とか5死を無失点で得て逃げ切り,試合終了.Kieltyの代打ホームランはRS Nationのdie hard funの間では,2004年の代走Robertsのように記憶されることになるかも.Kielty自身にとっても当該ホームランは一生の思い出かも.

2004年の優勝時は珍しくて,フェンウェイ球場近辺に集まった群衆に混じってしまったが,今回は余裕で自宅でTV中継視聴.2004年のスーパー・ボウル(この時はパッツが優勝)ハーフ・タイム・ショーでのジャネット・ジャクソン胸チラ事件以降,米の各放送局は生中継に神経質で,数秒の時間差放送で不測事態に備える体制になっている.此の様な背景で,NESNは取材陣不手際又は機器の故障(?)から,事前に約束していた試合終了後からの生中継が出来ず,漸く生放送が始まっても,選手達の肉声なしの画像のみを放映し,音声はスタジオのキャスター等の喋りを充てるという,トーキー以前の無声映画的な放映になっていた(同じようなことが,NESNの優勝パレードの中継でもあった.マニーがスティーヴィー・ワンダー風にアフロ・ヘアー&サングラスでマイクを握りぱなしで車上から観客に向かって喋っているシーンが各ポイントで映っているのだが,彼の声は聞こえず,スタジオの解説者の声ばかりだった.生中継放送のマイクが選手・観客双方から飛び交うかもしれない放送禁止語を拾うことを恐れた為だろう).

フランコーナ監督が,優勝後の記者会見で,8回にホームランを打たれた岡島について,(彼が今夜投げれるとは思わなかったにも関わらず?)体を張って投げれたこと自体が素晴らしい,というような事を一言述べていたことに救いを感じた.今回のWS4連勝を振り返ると,ロペス以外の出場選手は皆,監督の期待に応えて何等かの貢献をしたシリーズだった気がしてならない.

WS Game 3 at Colorado (10月27日)

今夜のWS登板は松坂,何時もながら重苦しい感じ.彼は何回まで持つか,はたまたNLのルールによるDHなしで,彼がどのように打席を凌ぐか,気圧が低く,外野が広い球場など,気になることばかり.

蓋を開けてみると,松坂は味方の好守備(特にルーゴ)に助けられて5回までは何とかもち,3回表のRSの猛攻では,自ら打点を叩き出すなど打席でも活躍,6回の投手交代後の抑えの救援陣の出来はどうかと言うと,松坂の代わりに登板したロペスは,相変わらず他人が許した走者は我関せずとばかり還してしまう癖が治らず,打たれて二点献上,一死も取れず交代でティムリン登場,何とか抑えて6回表終了.7回表ティムリンは走者二人を貯金,ここで中1日の岡島登場で初球ホームラン.中一日とは言うもののボストン=デンバー間の移動込み,今季最長の3回を跨いだ救援の後で岡島再登板は,如何にRSの救援陣が枯渇しているかの証拠.ホームランで走者一掃で吹っ切れたのか,岡島は何とか3アウトをとり8回に繋いだ.クタクタの状態で3死を取った岡島のド根性に刺激されたのか,8回表RS打線爆発で追加点3,8回裏のデルカーメンは若さ故の緊張かストライクがなかなか決まらず打たせて二死を討ち取るのが精一杯で,8回2死からはボン登場.9回表には足が速いとは言えないロウウェルが二塁から三塁へ盗塁という攻めの姿勢を貫き,テックの犠飛で見事に一点追加.最後はボンが見事に抑えて,松坂の勝利投手決定.さて,2004年の際と同じ4連勝になるかどうか.

10月26日

WSは移動日のため今夜は試合なし.昨夕,同僚のために貰ってきたRS応援紙ボードは,結局仕事場のドアに貼ることに.他の仕事部屋でもRS応援物を2,3貼っているところあり.今日のメトロ等の写真には,シリングが投手交代でベンチに戻る際に観客に向かって帽子を振ったものが多かった.此れがシリングにとってRSユニホームでの最後の試合になるのだろうか,それを覚悟した別れの挨拶とも言えるポーズ・写真だった.通勤途中のTで読み捨てられたタブロイドのボストン・ヘラルド紙を捲ると,岡島の写真が掲載されていたが,他紙には彼の写真はなかった.

WS Game 2 at Boston (10月25日)

WS二日目,今日も昨日同様の色選びの服装で出勤,球場界隈で無料配布のRS応援紙ボードを手に入れ職場のRSファンにプレゼントするため,今日も球場経由で帰宅.帰宅途中,川向こうの職場上空で軽飛行機が舞っている.今日は雨も上がり晴天で野球日和,'GO'と文字を丁度書き終えたところ.ならば次はSOXと書く筈だが,軽飛行機は何処ともなく飛び去り先に書き上げた文字は飛散中.材料切れだろうか.例の紙ボードと今日のGame Dayを手に入れ帰宅途中,CITGOの看板の向こうに満月(?)が見えた.

今シーズンRSは,10点以上の得点を記録した試合の後は何故か一転貧打に陥ることが多かった.はっきり記憶に残っている例外が,8月下旬のWSox4連戦4連勝くらいだろうか.熊の冬眠前の食べ漁りではないが,打てれる時に沢山打って成績を上げておき,打てない時に備えるというようなチームの試合結果よりも個人の通年成績を優先する思考が働いているのかもしれない.今夜の試合も当該パターンに違わず,また,ロッキーズも昨日の試合に懲りて投手陣が頑張ったため,一点差を争う投手戦になった.シリングも完全ではなかったが6回途中まで何とか持ち堪え,救援投手へ引継ぎ.誰が救援するかと思いきや,岡島登板.シリングの置き土産を見事に火消し,今日は岡島絶好調と思ったら,7回で許してもらえず,8回2死までというRS首脳陣の欲張りぶり.ボンはホリディーに安打を許すも,見事な牽制でアウト.打撃陣が稼いだ貴重な一点差を維持して,9回も無難に抑えて試合終了.

ところで,シリングが勝利投手記者会見でPapa-Jima showという語を使っていたが,カミサンは,登板順に,オカ・ボン・ショーと言うべきと譲らない.Googleしてみると,「オカボン」という言葉が既に存在し,阪神の岡田監督のことを指すらしい.上方では男(特に若者)を今でもボン(坊から転じたらしい)と呼ぶので(例えば「そこのボンボン」云々),岡田監督の岡にボンを結合させたらしい.RSの文脈では,間に中点を入れて,オカ・ボンとした方が混乱しなくて良いかも.

因みに,Papajimaという語をシリングが発した背景には,地元のピザ屋チェーンが絡んでいると思う.生粋のボストニアンならば「あたり前田のクラッカー」的な話なのだが,ニュー・イングランド地方限定のピザ等のイタリア料理チェーンにPapa Gino'sがある.開業は比較的新しくて1961年で,フェンウェイ球場付近にあるサンドイッチ屋のD'Angeloも10年前にPapa Gino'sの傘下に入った.Papa Gino, Papa-jima 比較的音が似ているので(nをmに,oをaへ),アドリブ的な言葉遊びで思いついたのではないか.試合後,予想していた通り,Boston.com上でのRS絡みの読者フォトショップ(パロディー)・コンテストに,Papa Gino'sのロゴをPapa-jima'sとパロッたものが投稿されていた.オリジナルの副題(同社の配達サーヴィスのモットー)"Catering at Its Best"は"Pitcha at Its Best"となっていた.

WS Game 1 at Boston (10月24日)

遂にやって来たWS初日,毎度の縁起かつぎで赤色の靴下を穿き,赤色系のシャツを着用して通勤.天気予報では今夜は雨だったが,帰宅ラッシュ・アワーの頃は未だ降雨に至らず,ケンモア駅から球場を経由して帰宅することに.予想通り,駅前から球場界隈までWSシリーズ的盛り上がり,メトロの球場号外Game Dayとボストン・グローブ紙が手渡しているRS応援紙ボードを貰い球場方向に歩いていくと,路肩にTVクルーの一団,声をかけられたが上手く避けてランドマーク・センター方向へ.コプリー方向を見ると,プルデンシャル・ビルには毎度御馴染みGO SOXの照明文字がぼんやりと見える.Harvard Vanguard前の交差点では,ダフ屋が制服警察官二人に捕まり,必死に言い訳をしていた.今年は,例年以上にダフ屋の取り締まりが厳しいことが以前ボストン・グローブ紙上で報道さていたが,WSならば取り締まりの厳しさは尚更か.フェンウェイ駅でTを待っていると,向こうに見えるランドマークセンターの脇には丸い月が見えている.

帰宅後,ケンモア駅前で手に入れた応援紙ボートを部屋に飾り,応援準備完了.ボストンで重要な行事があれば,戦闘機または爆撃機が飛来することが定例になっていて,今夜もTVで開会式の進行を見計らって屋上へ.生憎雨模様だったが,チャールズ・タウン=イースト・ボストン方面から編隊が球場方向に急速に飛来するのが見える(大抵音速以上の速度で航行しているので,爆音を聞いて窓から空を眺めた時には既に視界外ということが多い).編隊が球場上空からボストン郊外に抜ける際に,斜め横方向から編隊を見ることが出来たが,今日は薄い雨雲が立ち込めている為か,晴天の際よりもジェット噴射がより赤々と見えたのが印象的だった.8時を過ぎて暗くなったためか,例のGO SOXの文字はより鮮明に見えていた.

試合の方は,雨天にもかかわらず,ベケットの投球には安定感があり,連打を浴びてもso whatという感じの淡々とした力投が続き,RSの打線も一回裏先鋒のペドロイアによるホームランから乱れ打ち状態,終わってみれば10点差以上開いてRS圧勝となった.今シーズン6月のロッキーズ戦でベケットが7-1で敗戦投手になっていたことが信じられない試合結果だった.